1982年5月30日日曜日

佐渡島

朝から国道18号線を直江津目指して走ります。山から海に向うので殆ど下り道です。あまり休憩もとらず、お昼少し前に直江津港到着。この日はフェリーで佐渡島に渡ります。

佐渡島は、子供の頃父が社員旅行かなにかで一度訪れて、とても気にいったらしく「いつか必ず連れてい行ってやる」と言ってたところです。小学4年のころの日記に「絶対連れて行ってもらう!。約束」と書いてあります。

結局この歳(21歳)になるまでその約束は果されることもなく、自分の足で行くことになりました。高校3年の夏に自転車で東北一周した時、夕日の中の佐渡島を見て次は必ず渡ろうと思ったのでした。
直江津を13:30のフェリーで出発、小木港へ。きつい坂を上り反対側の海岸へ。素浜の海岸でキャンプとします。

素浜海岸の近く。綺麗な夕日でした。少し酔った顔をしてます。


 渡島の北側を数日かけてぐるっと周ります。時期的なものも有るのかもしれませんが、この何日間は誰とも会うことが有りませんでした。

 日本海の景色を堪能しながらのんびりペダルを漕ぎます。


 大野亀で記念撮影。


 相変らず誰とも会わず一人きりの走りが続きます。名所はどうやら海岸から離れ少し山の方にあるようでした。しかし、低い丘のような所とは言え、海岸から一気に上るその道へは結局行かずじまいでした。ひたすら海岸沿いの軽いアップダウンを楽しみながら走り、弾崎でキャンプ。5月30日には佐渡島をほぼ一周し赤泊へ到着しました。


赤泊からフェリーで新潟へ渡る予定なのですが、港着が15:00。フェリーは1日1本12:10しか有りませんでした。この近所でキャンプ地を探します。まずその前に今夜のビールを仕入れに港に有る酒屋さんへ。そこでテントを張れそうな場所を教えてもらうことにします。すると・・・

「キャンプ場は無いが、あの道を少し行ったところに禅長寺というお寺さんが有るからい行って聞いてみるといい。そこならテント張らせてもらえると思う。」

お寺?。大丈夫かなぁ、そんなこと頼んで。でももう少しで日が暮れます。とにかく行ってみることにしました。

お寺に着くと境内は芝生で覆われ、それはそれはキャンプにうってつけの場所でした。思い切ってご住職にお願いしてみることにします。

「すいません、そこの酒屋さんに聞いて来たのですが、今夜一晩だけここにテントを張らせていただけないでしょうか?」すると、

「なにキャンプか。そんなことせずにそれなら今夜はうちに泊って行きなさい。ちょうど今日の法事の料理も少し残っているし、どうだ、嫌か?」と嬉しい返事。遠慮なく甘えさせていただくことにしました。

台所でご住職と並んで夕食の仕度をし、さっき買ったビールを出して「乾杯」。お酒も御馳走になり、旅行のこと、人生のことなどを楽しく語らいました。

しばらくすると「どーだ、風呂に入るか?」と言うことでしたので、喜んでいただくことにしました。

すると「それじゃぁ」と言って、どこかに電話するご住職。良く聞いていると、どうやら近所の檀家さんの家に電話をしているようです。どうも今夜はその檀家さんの家でお風呂をいただくらしい。ありゃあ、良いのかなぁ、と思いながらも気持ちの良いお風呂をいただくことが出来ました。お風呂を貸してくださった方も、汚れ放題の僕を歓迎して下さりました。大変お世話になりました。食事といい、お風呂といい、とても楽しい夜を過させていただき、良い思い出が出来ました。残念なことにこの日は一枚も写真を撮ってません。

明日、5月31日、予定通りフェリーで新潟へ向います。

1982年5月25日火曜日

木崎湖から野尻湖へ

出発して5日目。懐しい友人とも会い、安房を越え上高地、フランス人との出会い。もう気持ちはすっかり旅人モードに切り替わりました。体調も天気も頗る良好です。今日は山を下り松本から日本海へとコースをとります。

上高地から国道158号線へ戻り、トンネルの連続する道を快調にとばします。坂巻温泉、湯川渡、沢渡、奈川渡と大好きな道を、次第に大きくなる梓川を時々みやりながら殆どペダルを踏むことなく、最高の気分を味わいながら新島々へ。短い休憩の後すぐにスタート。もう止まっているのがもったいない。でも下ってしまうのももったいない。

次第に市街地となり、懐しの松本駅へ。この松本駅も何度となくお世話になりました。快適に寝ることの出来る駅でした。今はどうなってるんでしょうか。

松本から国道147号線にのり穂高町を目指します。穂高神社をしばし見学。その後碌山美術館を見学し、木崎湖へ。湖畔でキャンプとなりました。

テントを張り終わると、先程から広がって来ていた真っ黒な雲から大粒の雨。そして雷。稲妻が目の前の湖へ!。ドカーン!と、あぁ、ぺっくらしました。雨は直ぐに止み、気持ちの良い夕暮れがやって決ました。途中で買っておいたビールとつまみで乾杯。

翌日はのんびりと山の景色を楽しみつつ、アップダウンに喘ぎつつで野尻湖まで。天気にも恵まれ楽しい自転車漕ぎです。

元々写真や記録を余り残さない人間なのですが、こんな日は快適過ぎて、なおさら何も残っていません。

明日はいよいよ日本海です。

1982年5月24日月曜日

上高地

出発したら、まず行こうと思っていたのが上高地です。ここも何度も自転車で訪れたことが有ります。ですので、その前の大難関もよ~く判っていました。

この日の朝、「あそこを自転車で行くのか?」と心配そうな友人に「大丈夫、今迄何回か通ったことがあるから。」
しかし、以前はロード、今回は重装備のキャンピング。条件が違いすぎるのですが、そこを行かなきゃ上高地はないので、8:30 出発しました。

目の前がいきなり登りなので、一旦平湯バスターミナルまで戻り、ペダルをくるくる回しながらペースを掴み、そのまま急坂へ突入しました。永遠に続くのではないかとも思える辛い上り、止りそうになるような急勾配を必死に登ります。昨日は押してしまいましたが、この日は、休んでも絶対押さない、と決め安房峠を目指します。顔からぽたぽたと汗が落ちます。辛くなると足を着き、呼吸を整えてまた漕ぎ出す。ギアがぎりぎと軋みます。

上りの苦しみが快感に変りはじめ、顔がだんだんニヤケだしたころ、切り通しが目に入りました。やっと来た。



到着。何回来ても良いですね。ちなみに、今現在(2004年)、既に安房トンネルが出来ているので、ここを通ることはないのですね。少しさみしいですね。

誰も居ないので、三脚を使って余裕?の撮影。

安房峠からの眺め。乗鞍岳が見えます。





ここから上高地の入口まで、九十九折りの道を一気に下ります。あぁもったいないけど、また来るかんね。

上高地に入るには、釜トンネルを通らなければいけません。1車線分しか無いので、交互通行の信号が変るまで暫く待ちます。

釜トンネルの中は電気も無く、思いのほか長く出口が見えないので、真ん中付近は完全な暗闇となります。路面は全然見えず、まるで空を飛んでいるような錯覚をおこします。ダイナモランプとバッテリーランプ、それとヘッドランプを点けて進みます。この道は本当に恐かったです。

12:00 上高地着

上高地に着くと、別のサイクリストに会いました。河童橋で記念撮影です。



大正池からの眺め


 水がつめたい梓川


 乗鞍岳、焼岳を望む



 しばし上高地を散策した後、小梨平にテントを張りビールなど飲んでくつろいでいると、フランス人のカップル出現。やはり自転車で日本中を旅行中らしい。英語だったので、完全には判りませんでしたが、たぶんそう言ってたと思います。


今日はごはんを炊いて、何故かそのままチャーハンを作りました。

満腹になって転がっていると、先程のフランス人のカップル再登場。彼等の泊まっているキャビンに招待されて、英語、フランス語、日本語をまじえたへんてこな会話が始まりました。

彼等は僕の地図を広げ、「#☆◇*□???」何か言います。僕はというと、英語がさっぱりなので「う~ん?」と唸るだけ。すると「OK、OK」と笑いながら地図を返してくれます。

今度は彼等の地図を広げ、また「※◎☆#▽???」何か言います。僕はというと英語がさっぱりなので「う~ん??」と唸るだけ。すると彼等は「OK、OK」と言うと、笑いながらその地図をくしゃくしゃと丸め、「basket!」などと言いながら、屑籠に放り投げます。

今思うと、こういうことなんですね。

「な~、君のこの地図まだ使う?。要らなかったら、記念にくれない?」。僕が「う~ん」と悩むのを見て、「OK、OK。まだ使うのならいいのよん」。

「ね~、僕達のこの地図もう使わないのだけど、もしよかったら記念にもらってくんない?」。僕が「う~ん」と悩むのを見て、「OK、OK。要らないのなら、捨てるね。(くしゃくしゃ)おりゃ!シュート」。
英語は少しでも出来た方が良いですね。とても残念なことをしました。

夜も更けたので、退散。明日は早々にここを出発して、日本海を目指します。

この日は殆ど走っていません。20km程でしょうか。しかし安房峠越えは、かなり効きました。

1982年5月22日土曜日

平湯温泉へ

高山市は大好きなところです。これまで何度も自転車で訪れました。何度となくお世話になった高山駅へ行ってみました。懐しい。

冬にロードレーサーで訪れ、知り合ったもう一人のサイクリストと駅で寝ようと準備していたところ、おまわりさんに職務質問されたことが有ります。おまわりさんは一通りの質問の後に、「寒いだろうから、寝る時間まで交番に来たらどうか」と誘ってくれました。僕たちは喜んでおじゃまして、ストーブにあたり、お茶などをいただきながら、寝る時間までそのおまわりさんと話していました。

あぁ、あの交番だねぇ、などと思いながら少し休んで出発。国道158号線を平湯温泉目指し走ります。始めは良いんです。のんびりした風景を楽しみながら走ります。しかし、楽しむのも始めのうちだけ。次第に勾配を増す道はもう、大量に荷物を積んだ自転車では登ることが出来ません。
朴の木平あたりまでがんばったでしょうか。ギアは既に28×25。足をくるくる回しても歩く方が速い程です。ついにギブアップし押して登ることに。

最高点の平湯トンネルを越え、一気に平湯温泉まで下ります。この「平湯トンネル」そうとう長くて(調べたら1684m)、こんな長いトンネルを通るのは初めてでした。

平湯温泉には、名古屋での学生時代の友人が、卒業後結婚して住みついています。彼は、僕と同じ歳で、名古屋の専門学校に同じく新卒で入学して来ました。夜間の部だった為殆どの生徒が就職後に入学する人で、高校新卒は珍しかった。二人とも学生服で登校し、「卒業までの2年間、学生服で通そう」と約束しあったものです。

学生服は真夏の我慢出来ないようになるまで続き、その後断念してしまいましたが、彼はずっと僕の友人でいてくれました。

当時、昼間は働いているわけですが、彼も僕も別々の鉄工所のようなところで働いていて、真夏などは仕事の後、風呂に入って登校します。ビールが旨い季節でして、彼は缶ビール片手に登校したことが有りました。僕はというと、授業の途中にガマンが出来ず、教室から抜け出して飲み屋によく走りました。

今回は、何の連絡もせずにいきなり訪問。思い出話などしながらゆっくり2泊も泊めてもらい、旨いもの沢山と温泉を満喫して疲れを癒させてもらいました。感謝。

走行距離、約60kmてとこしょうか。

1982年5月21日金曜日

出発の日

朝4時に起きました。5時には出発の予定です。

昨夜は同じ下宿の友人である岡田君が、あまり強くないのに最後の酒飲みに付き合ってくれました。彼は「見送ってやる」と言いましたが、まだ起きて来る気配はありません。

全ての装備を取り付けられ僕と同じ位の重量になった自転車が、きれいに片づいた下宿の部屋の壁に立てかけてあります。注意深く道路に出した時には、もう出発まで10分程になっていました。やはり友人は出て来ません。僕は、一人が好きなくせに別れが大の苦手です。はやる気持ちも手伝い、予定より5分程早く出発することにしました。

こんなに荷物を積んで走るのは初めてです。が、とても安定していて走りやすい。この前までレーサーに乗っていたので、スピードの遅さにいらだちつつも、考えてみればそれはあたりまえのことです。直ぐにペースを掴み、まだ明けたばかりの名古屋の町をひた走ります。

走りが退屈なせいか、いろいろな事を思い出します。名古屋での3年間。友人や好きだった人。楽しい思い出。なんでこの生活を捨てなければいけないのか。本当に自転車での旅は、自分にとって必要な物なのか。
もし今ここで自転車を止め、向きを変え、あの下宿に戻れば、また昨日までと同じ楽しい日々が待っているではないか。またあいつらと呑んで騒げる。好きな人と別れることもない・・・。

考えるうちに国道41号線にのり、岐阜県へ。じきに登りの多い道となり、汗がふきで始めたあたりでようやくふっきれました。これが僕の知る道。身も心もやっと出発点に立つことが出来ました。

この日は、高山市の手前の国道脇の空き地でキャンプ。何を食べたかは覚えていません。でも、ビールで祝杯をあげたのは間違いありません。

走行距離、約150km。