1982年8月10日火曜日

自由というものとうしろめたさ

暑い。富岡の海岸から国道6号線を北上し、相馬市へ向う。余りの暑さで頭痛がする。耐えきれず自販機で缶ジュースを買って大量に飲んでしまう。相馬から国道113号線へ向きを変え内陸に向う。とたんに急な上りだ。体調はとても良い。激しい上りにも関わらず心配していた左足はびくともしなかった。もう大丈夫だろう。

丸森を過ぎ国道349号線へ。阿武隈川の川原でキャンプ。途中パンクしたチューブを修理し、タイヤをクレメンからブリジストンに変え、夕日を見ながら一人乾杯。飯を炊きながらビール、水割りと上機嫌である。食事が終るころ天気が悪化しテントへ。良い一日だった。

翌日は、以前足を故障した時にお世話になった親戚宅へ。1泊お世話になって次の日はこの辺の親戚の家々に久々の挨拶へ向う。

皆歓迎してくれたのだが、何となく非難的な視線をも感じていた。長いことご無沙汰で突然自転車でおしかけて、しかも仕事もせず旅行をしている。実はあまり嬉しい客では無かったのかもしれない。

しかし、今思うとそうではなくて、自分自身の中に、うしろめたさのような物を感じていたのだろうとも思える。皆、真面目に仕事をして日々生活している。そんな人達にとって、僕のような人間はきっと奇異に感じたことだろう。それは、僕自身も充分判っていた。

これ以上、肩身の狭い思いをしてまでここには居たくない。本当はもう一日くらい居て色々と話もしたかったのだが、荷物をまとめてそそくさと出発した。

足を故障して実家の家で療養中、兄の友人から「極道」と言われた。良い意味でと理解したいが、確かに極道だ。自分の好きなことを自由に選んで生きている。なんとも我儘な人間に見えたことだろう。でも誰にも迷惑をかけず自分の信じる道を、「今しか出来ないこと」と理解し実行して生きて行くことがそんなに不思議なことなのだろうか。確かにこうして好きな旅が出来るのも、寛大な両親と両親と同居してくれている兄夫婦のおかげだ。感謝している。

色々考えるとむしゃくしゃしてくる。とにかく山形へ向うことにする。国道113号線を上る。山形県境近くに僕の生れ故郷が有る。子供の頃からよく通った道だ。だらだらとした道を、懐しい風景を楽しみながら黙々と走る。途中に父の生家が有り叔父夫婦が住んでいる。よせばいいのにやはり顔を出した。僕はこの辺の親戚が皆大好きだ。子供のころからかわいがってくれて、楽しい思い出がいっぱい有る。だから近くを通ったら是非寄って行こうと決めていた。でも、露骨に迷惑そうな顔をされた。しょうがない。それでもお茶を一杯ごちそうになり、少し話をしてまた出発した。もう陽が傾いて来ている。この日は小原の川原へおりてキャンプ。雨が降りだした。

なんだかいやな一日だった。一番良くないのは僕自身なのだろう。だけど・・・。この日以来、今でも親戚がなんとなく苦手だ。

うしろめたい気持は正常なことと思う。少しはその位の意識も必要だろう。だけど自分を責めることもないのだ、と水割りで気分の良くなった頭が都合の良い結論を出してくれた。僕を含め、全ての人が正しいのだ。そしてやっぱり、旅は続く。