1982年9月28日火曜日

厚岸~釧路

海岸沿を宮崎さんと一緒に走る。

厚岸駅で昼食。

その後、宮崎さんとは分れ釧路へ行く。

暗くなったので釧路駅に行くと、岡山の小田さんと再再開。二人で駅の軒下泊。


1982年9月27日月曜日

霧多布岬

雨が止んだので出発。霧多布岬へ向う。

なんだか、途中林道になったり行き止まりだったりして、無駄に疲れる。

途中で、宇登呂で一緒だった宮崎さんと再会。宮崎さんはバンガローに止るというので、ご一緒させてもらう。

恐しく風が強いが、とても良い天気だ。


1982年9月26日日曜日

長節湖畔

 朝から雨だ。この日は停滞。


1982年9月25日土曜日

根室~納沙布岬~長節湖畔

根室に戻り郵便局でお金をおろす。

そのまま納沙布岬へ。

人が沢山いて落ち着かないのですぐ根室へ戻る。

途中港で釣りを見物し、長節湖畔でキャンプ。

納沙布岬とオブジェ














1982年9月24日金曜日

トドワラ~温根沼

トドワラを見学。

のんびりと過ごして根室へ。

のんびりし過ぎて暗くなってしまった。温根沼のバス停で寝ることにする。

トドワラ









1982年9月23日木曜日

知床峠~羅臼~野付半島

雨が止んだので宮崎さんとも別れ出発する。

知床峠を越え羅臼へ。





















 

昼飯を食べて、野付半島まで走りキャンプ。

 

1982年9月22日水曜日

宇都呂

今日も朝から雨だ。停滞することにする。

この時期は他にキャンプする人は居ないので、大きな炊事棟の中にテントを張って過ごす。雨が振っても快適だ。

一日酒を飲んで過ごす。バイクの人は昼前に出発して行った。


1982年9月21日火曜日

宇都呂 誕生日

朝から雨。今日は停滞に決める。

日中回復したので、観光船に乗り知床半島巡りをする。

その後キャンプ場で一緒のバイクの人に乗せてもらい、知床五湖へ。

バイクの後部座席から











 

 

知床五湖のひとつ








 

 

知床五湖にて








 

 

子熊がいたので遊ぶ、といっても危険なので触ることは出来ない。








 

 

その夜、宮崎さんとバイクの人がジンギスカンで僕の誕生日を祝ってくれた。22歳になりました。ありがとう。



1982年9月20日月曜日

宇都呂

早々に下山。

海岸線をひたすら走り、宇都呂まで来る。

早めに着いたので港でのんびりとした後、国営キャンプ場へ行く。

自転車の宮崎さんとバイクの人が到着し、静かな宴会。

自転車の宮崎さん、勤めていた会社があぶなそうだったので、つぶれる前に退職して、退職金で旅行しているらしい。

バイクの人は短かい期間で北海道を周るため、毎日かなりの距離を走っている。東京から2日で北海道へ来たらしい。

夜中にキタキツネがやってきた。食べ物でつって近くまでおびき寄せる。少し何かを食べたキタキツネは、最後に僕の足を噛んで逃げていった。

病気なのかひどく痩せている子キツネ









遠巻きにこちらをうかがう親キツネ










1982年9月19日日曜日

川湯温泉~斜里~網走~天都山

今日はなんだか人が沢山居る。そろそろ出発することにする。

ホワイトガソリンが底をついたので買おうと思うのだが、聞くところによるとこの辺には売っていないらしい。川湯温泉から斜里まで走るが、売っているところは無い。

しかたがないので、また網走まで行くことにする。









網走でホワイトガソリンとスイスメタを購入。

地図をみると「天都山」というところが有る。

そういえばいつだったか、出会った自転車ツーリストが「テント張るなら天都山」とふざけていてのを思いだし、行ってみることにする。ところがここがすさまじい上りで、一番上に着いたときは、すっかり陽が落ちてしまっていた。キャンプ場が有るわけでもない。

しかたが無いので、電波塔のそばに小さな空地を見つけてテントを張る。とても静かで恐いほどだった。









1982年9月18日土曜日

屈斜路湖

今日も停滞。

自転車の整備をする。

もう一人の人は出発していった。

一人で砂湯の温泉に入り、就寝。疲れもだいぶとれたみたいだ。


1982年9月17日金曜日

屈斜路湖

温泉が気にいったので今日は停滞することにする。

自転車から荷物をはずして和琴へ観光しに行く。

売店を覗くとおばさんが、「あらら、また一人来た」と言う。

聞くと何日か前から、一人の自転車キャンパーが近くにテントを張っているらしい。早速教えてもらった方に行ってみる。

いたいた。その辺のごみを拾って回っていた。

「久しぶりー」

それは岡山の小田さんだった。僕と別れたあとまっすぐここに来てのんびり過ごしているらしい。

売店のおばさんたちに親切にしてもらっているので、お礼にごみ拾いをしているそうだ。

しばし談笑し、自分のテントに帰る。

途中ジンギスカンの材料を買い込み、昨日から一緒の自転車さんと静かに宴会。そしてまた砂湯の温泉につかり、幸せに就寝。


1982年9月16日木曜日

湖を巡る。摩周湖~屈斜路湖

 朝から摩周湖へ向かう。かなり厳しい道だ。









自転車やバイクのツーリストと多数すれ違う。

ピースサインを交わすのだが、この上りでは勘弁して下さい。相手も解ってくれているだろう。でも、バイクが追いぬきざまに左手をちょこんと出して”ピース”をくれるので、苦しい上りでとても力づけられる。

下りにかかると今度はこっちからお返しの番だ。高速で、がんがんコーナーを攻めながら上ってくるバイクにピースを送るが、今度はあちらが手が放せない。「うんうん!」という感じで頭だけで返事をくれる。

展望台で摩周湖を眺め、屈斜路湖の砂湯近くにキャンプ。このあたりには「熊に注意」の看板が有る。

もう一人自転車が到着し、暗くなってから一緒に、砂湯まで温泉につかりに行く。明るいと人が多いので落ち着いてはいれないのだ。









1982年9月15日水曜日

湖を巡る。阿寒湖

小田さんと別れ、一人阿寒湖へ。

お昼には到着し、しばしのんびりする。

バイクの3人と酒を呑みゆっくり就寝。


1982年9月14日火曜日

キタキツネと遊ぶ

雨も止み快晴。

能取岬へ行く。

昼めしを食べてゆっくりしていたら、店の人がキタキツネを連れて来た。これから放して運動させるらしい。

とてもよくなついている。一緒にくさむらの中を走りまわり、キタキツネと戯れる。








1982年9月13日月曜日

網走駅

朝9時頃雨が弱まったので急いでテントをたたみ、近くの無人駅へ逃げこむ。

しばらくすると陽が差して来たので再び走り出して、網走駅へ。

人が多いので近くの小屋に泊ることにする。夕方、また土砂降りとなる。







 

 

小田さんが撮った僕



1982年9月12日日曜日

サロマ湖畔のサンゴ草祭り

朝から気分がとても良いので、会場にとどまり馬と遊んだりまた酒を飲んだりして、のんびり。

「馬を買わないか?」とか「豚を買わないか」と誘われる。もちろん生きた子馬、子豚である。

丁重にお断わりして、またビールなど飲んで、地元の人と笑いながら過した。

夕方から雨が降りだした。台風18号が直撃しそうな気配だ。

夜、土砂降りとなる。

テント内も浸水し中に水溜りが出来る。自分は濡れてもシュラフは濡らさないように過す。

 

1982年9月11日土曜日

サロマ湖畔のサンゴ草祭り

昨日出逢った小田さんと一緒に走る。

サロマ湖畔を行くと賑やかなところが有った。卯原内というところで「サンゴ草祭り」の開催中だ。

早速会場へ。


 








サンゴ草とは本名をアッケシソウと言う。この時期朱色になりとてもきれいだ。

その赤く染まったサロマ湖を眺めながら、小学生のマーチングバンドを聴いたり出店を眺めたりして過す。


 

 

 

 

 

 

 

 

しかし何か物足りない。やっぱりビールでも飲もうということになった。

ビールを飲むとなると、今日はこれ以上走れない。どこか寝るところを探さなければならなかった。二人で相談し、だめもとで開催本部のテントへ行ってみた。

「あの~、すいません」

「ハイハイ」

「実は・・・、」

二人は自転車で旅行をしています。たまたまここを通りかかったらお祭りがありました。もう少しゆっくりしていきたい(ビールを飲んだりしたい)が泊るところが決まってません。つきましてはこの会場の端っこの方にテントを張らせてもらえないでしょうか。

てなことを役員さんに話してみた。どうせあまり良い顔はしてくれないだろうけど、あ~っちの方なら邪魔にならないだろうから、なんとかお願いしてみよう。

すると、思いがけない答えが返ってきた。

「良いですよ。ほら、あそこが空いてるから。大きいテント?。ああそう、なら問題ないですよ。どうぞどうぞ」

あそこ、と示された場所は、会場入口付近のお祭りの真正面で、どちらかというとこれはもう会場内である。

 お礼を言い大喜びでテントを2張並べる。後でもう一人自転車が来て、3張のテントが会場に並んだ。

これでもう今日は何も心配ない。こころおきなく酔うことが出来る。

ビールを飲みながら、出店の前をぶらぶらして、ツブ焼きや帆立を腹一杯食べる。そして、テントに戻りころがる。幸せな一時だ。

日が暮れると辺りはすっかり静かになり、残った自転車3人で宴会のやりなおしである。随分遅くまで飲んでくたびれて寝た。

 

1982年9月10日金曜日

紋別~湧別~芭露

紋別を通過。

駅には数人の自転車ツーリストが居た。少し休み水道を借りて食器を洗わせてもらう。

洗剤を切らしているので水で洗っていると、「これ使えよ」と別の自転車乗りが洗剤を貸してくれた。しかし良く見るとそれは「トニックシャンプー」である。

「大丈夫。へたな洗剤よりも良くおちるよ」

彼は、シャンプーと洗剤の二つを持ち歩くのを嫌い、トニックシャンプーを併用していた。

確かに汚れが良くおちたなあ。

この日は、朝から雨が降ったり止んだりしている。

湧別駅でのんびりと昼飯を食べる。

竜宮台の方へ行く。

この辺で、岡山の小田さんと出会う。芭露駅で泊る。

小田さんは建設業の会社に勤めているが、旅行をするため2ヶ月程休みをとって来たそうだ。









1982年9月9日木曜日

興部~豊野

風が強い。

興部まで走り、町でスパナを買う。

興部駅は落ち着かなかったので次の豊野駅まで走り、駅で泊まる。

 

1982年9月8日水曜日

楽しく黙々と走る日々 稚内~宗谷岬

久しぶりに一人で走り出す。朝から雨が降ったり止んだりしてどうするか迷ったが、結局走ることにした。

宗谷岬にもう一度行って両親に夫婦ちゃわん(湯飲み)を買い、送る。

このあたりから、自転車やオートバイのツーリストが増え出す。毎日出会いと別れが有った。

一つの駅に1、2週間とどまっているオートバイ乗りが居た。話しているとお昼になったので食事の用意をしていると、彼はおもむろに弁当箱を取り出した。変な表現だが「普通の弁当」である。かわいいハンカチで包んであった。話を聞くと、ここにとどまって数日すると、通学の女子高校生と知り合いになったらしい。そして彼女は毎日彼の弁当を作ってくるようになったという。これは羨しい話だ。

駅の入口近くで夕食の用意などしていると、時々会社帰りの人に声をかけられる。

地べたに座ってごはんを焚く僕の横に座り、

「それ何?」

「ごはんです」

「良い匂いだね」

「でしょ?」

「旅行?」

「日本一周です」

「ふーん、良いなぁ」

そして、じゃね、と去って行く。

中には、いきなり近づいて来て「飲めよ」なんて言って酒を置いて行く人もいた。みなやさしい。

 

1982年9月7日火曜日

稚内へ戻る

 今日もゆったりした時間に身をゆだねる。強風の中、須古屯岬へ。

 とったんに小さな店が有り、そこで"つぶ焼き"を食べる。これは旨い。少し高いけど、おいしかった。



 

 

 

 

 


 

船泊からフェリーに乗り、稚内へ戻る。この日も稚内公園でキャンプ。

先日までとはうって変って、雷雲が。大雨、洪水、雷雨注意報が出ている。どしゃぶりで、自分と同じあたりで稲光が有る。恐しい。

実家の方へ向う門さんと別れ、久し振りに単独行となった。


1982年9月6日月曜日

礼文島へ

今朝もゆっくり出発した。

毎日がゆったりした時間の中で過ぎて行く。こんな島ではなおさら、のような気がする。

見る物全てが淡く、夢のように通り過ぎて行く。

心も体も芯からリラックスして、不思議の世界のように時間が流れて行く。

 

のんびりフェリー乗り場に行き、礼文島へ向う。利尻島の出航時には、ユースホステルのヘルパー(ペアレント)が岸壁でギターを手に歌を歌い、ホステラーを見送っていた。彼らは船が見えなくなるまで、歌を歌い続けていた。

 

香深に入港。

北上し船泊近くの久種湖畔にキャンプ。

この島には犬、猫が居ない。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

礼文島から利尻富士を眺める。


 

1982年9月5日日曜日

利尻島へ

 フェリー時間に合せ、今朝はゆっくり出発した。

 稚内から鴛泊へ。









利尻富士を見ながら島を2/3周程した。









沓形岬でキャンプ。静かで、とても良い島だ。









気分の良い、静かな宴会は今日も続く。


 

1982年9月4日土曜日

宗谷岬

 この日はまず、野寒布岬へ。








 

その後、利尻島へのフェリー時刻を調べ宗谷岬へ。一緒に走っている門さんも利尻、礼文へ行くことにする。まだしばらく一緒の楽しい走りが出来そうだ。


 

 

 

 

 

 

 

明日のフェリーのことを考え、また稚内に戻ることにする。眺めの良さが気にいって、今日も稚内公園でキャンプ。すばらしい天気だが、夜の冷え込みが強くなった。

 

1982年9月3日金曜日

稚内へ

朝、起床して片づけ。自転車を外に出す。駅の利用者さんが来る。昨日の余韻がまだ冷めない。ぼーっとゆっくりした後、昨日の酒屋さんへ行ってお礼を言い、のんびりとスタートした。

サロベツ原野を北上し、稚内へ。また夜になる。稚内公園まで上りキャンプ。

 

写真は写真撮影中の門さん。


 






 

その時の僕




 

 

 

 

 

 

稚内公園への急登のせいもあるけど、やはり昨日の疲れがたまっているようだ。この日は綺麗な夜景を眺めつつ、ウィスキーを飲み寝る。

 

稚内公園からの眺め。




 

 

 

 

 

 

氷雪の門。











1982年9月2日木曜日

丸松駅へ恐怖のダウンヒル

翌日、朱鞠内湖畔を北上し美深峠を越え、名寄、音威子府と経由し、また海へ向う。

国道を外れると、もうこれは熊でも出るのではないかというような山の中になる。しかも途中、地滑りの為道が無くなっていた。もう戻る気にはならない。向うに見える道まで、地滑り跡を越えることにする。

近くにトラロープを発見。
まず自転車から全ての荷物を外し、崩れた下までトラロープで何回かに分けて下す。次に向う岸(道路)まで移動し、またトラロープを使い道まで持ちあげる。
一人ではとても無理な作業だった。改めてこの出会いに感謝。

無事地滑り地帯を越えた時には、日が傾きかけていた。最後の力で未舗装を上る。僕より少しだけ軽装の門さんとの間が広がる。まぁ一本道なので下りになれば追い付くだろう。

と、その時前方から「ガチャガチャ!」と凄い音と、「うわわわ~」と門さんの声。停車したようだ。ほどなく追い付く。彼はぼーぜんと自転車を眺めていた。
「チェーンが切れた・・・。」うお。何という怪力。この登坂で門さんの脚力に耐え切れず、ついにチェーンは切れてしまっていた。

早速、先日「サイクルショップ青い鳥」で購入したチェーンカッターを取り出し、修理にかかる。2コマカットして繋ぐ。ランドナーなので、2コマや4コマ切っても支障は無い。
「助かった」
「これで貸し借り無しね」。

ゆっくりする時間は無い。直ぐに出発。そして最高点を通過。もう暗くなっている。足を着くこともなく下りにかかる。

周りは民家もない山の中。外灯もなく、景色も全く見えない。
僕は例によってダイナモランプ、バッテリーランプ、ヘッドランプを点けて走る。
スピードが上る。追突しないよう間隔を空ける。未舗装道なので腰は上げたまま、体を丸める。体中の関節で振動を吸収する。急なコーナーに体が反応する。サイドバッグが地面をこする。石が弾ける音と、ホイールの唸りしか聞こえない・・・。先を行く門さんがコーナーに見え隠れする。出口の見えない恐怖との戦い。

長い下りだった。精神的にもうくたくたになりかけた頃、丸松の町に出た。もう大丈夫だ。う~、煙草が旨いぞ。

夜も更ける。寝るところを探さなければならないが、
「こんな日はもっと大切な物が有るでしょ、」と言うことで酒屋を探す。
丸松駅の近くにあった。閉まっている。戸をたたき開けてもらう。だいぶ冷えてきたので日本酒を購入。

「こんな時間にどこまで行くの?」
「この辺で寝ようと思うのですが」
「なら、あそこを使うと良い。」と酒屋さんが指差すのは丸松駅舎だった。
「あそこはうちが管理委託されてっから、今夜使って良いよ。寒いときはストーブも使って良い。薪もあるぞ」。あぁ、おじさんの姿に後光が・・・。

下手なことするといけないので、ストーブは使わないことにした。ベンチにシュラフを広げ、ガソリンストーブで燗をつける。

写真は飯を炊いているところ。ごはんをつまみに酒を飲む。




恐らく人生でも5本の指に入るだろう、この旨い酒、気持ち良く酔って疲れきった体を休めた。
最高の気分。良く写真を見ると、アディダスのトレーナーが「うしろまえ」だ。



今はこの鉄道も廃線となっています。あの酒屋さんは今はどうしてるでしょう。おじさん、有り難う。

1982年9月1日水曜日

M大生の門さんとの出会い、朱鞠内湖

地図をながめ、その名前に誘われて朱鞠内湖へ向うことにする。

また内陸へ向う。人っ子一人居ない。自動車も走らない。道は次第にダートへ変って行く。久々の難所だ。あせらずじっくりペダルを回す。

この頃になると、前進する焦りなど全くなくなり、どんな道でも忍耐強く走ることが出来るようになっていた。景色を楽しみ、辛けりゃ休めば良いし、押しても良い。出発したばかりのころのような気負も、すっかり無くなっていた。



朱鞠内湖キャンプ場到着。1泊100円


ここで、M大生の門さんと出逢う。

門さんは札幌の出身で、大学の夏休みを利用して北海道を周っている。

早速静かな宴会が始まる。ここがとても静かなところなので、騒ぐ気にはならない。とても良いところでした。







1982年8月31日火曜日

苫前のグリーンヒルキャンプ場

未だ少し酒が残っているようだ。
しばらく走って1時間程昼寝をする。とても良い日だ。気分も少しずつ回復している。
この日は深川市から再び海を目指し、留萌から苫前まで走る。追風で快調にとばす。

 苫前のグリーンヒルキャンプ場でキャンプ。使用料0円にしてくれた。静かな、なんとも久し振りにのんびりしたキャンプのような気がする。



苫前海岸のきれいな夕日。



1982年8月30日月曜日

宿酔

やっぱり宿酔だ。
男性陣は今日は遅い入坑らしいが、もう出勤の準備を始めている。僕は起きることが出来ず、蒲団の上でお礼を言い、別れの挨拶をした。

15時。これ以上迷惑はかけられない。ごはんをご馳走になり、おにぎりを頂いて出発した。

今は皆どうしているだろう。彼等の炭鉱も数年前に廃鉱となった。相変わらず元気でいるんだろうなぁ。本当に有り難う。この旅行の中でも上位にランクされるインパクトのある思い出です。

二日酔いのまま北上。深川市まで走る。町外れのバス停で寝ることにする。
一人になると、この数日の騒ぎがまるで夢のようだ。静かに就寝。さすがに今日はビールは飲めない。

1982年8月29日日曜日

歌志内へ

朝、彼等は早めにテントを撤収し、来た時のように砂埃を上げながら「どどど!」と去って行った。「近くを通ったら絶対寄って行けよ!」の言葉を残して。


今日はどこへ行こうかまだ迷っていた僕の耳は、この最後の言葉に反応し、次の瞬間には地図を広げ、ここから歌志内市までの距離をはじき出していた。7、80km。「いける」。今日の目的地は歌志内に決った。

早速、僕もテントを撤収し、国道451号線を滝川市向けて走り出す。
少し不安だったが、思った程アップダウンもきつくなく楽に滝川に到着。教えてもらっていた電話番号へ電話をし、早速今日行って良いか確認する。1日で来れるのか?、と驚いていたが夕方には着けると話すと、大歓迎の返事。さてもうひと走りだ。

降り始めた霧雨のなか、予定通り夕方に到着。
はじめに町内の温泉施設へ連れて行ってくれた。
風呂あがりに大酒を飲み、よっしゃーとマージャンが始まる。う~、久し振りだ。やっぱり大負けして、次はスナックへ繰り出す。
もうどうにでもなれ~っと飲み歌い続けて、夜中の2時ころ帰宅。もう訳が判らなく全員ごちゃごちゃと絡むように眠りにつく。

1982年8月28日土曜日

大量飲酒的日々

朝ゆっくり出発。海を眺めながらの快調に走る。浜益からどう行こうか迷う。

当時の地図だと、このまま北上すると海岸の道は寸断、若しくはかなりの難所と見た。かと言って内陸への国道451号線もアップダウンが有りそうだ。しょうがないので、浜益の、川下海岸のキャンプ場で早めの幕営とし、ゆっくり考えることにした。

北海道はもう夏も終ったらしく、海水浴場と思われるこの浜辺には人っ子一人居ない。売店も開いていない。午後の風に当りながら、予め買っておいたビールを飲む。心静かなひととき。

と、そこへ、「どどど!」と砂埃をあげて1台の乗用車が出現した。僕の近くにそれは停車し、なんだか恐そうなおにいさんが降りて来た。
「キャンプ?」
「そ、そ、そうです」
「俺達もなんだ。近くに来て良い?」
「どどど、どうぞ」。

すると車からどやどやと一家族が降りて来た。4、5歳位の子も居て、なんだか一安心。彼等は僕のテントの隣りにぴったりとテントを張って、宴会の準備を始めた。
そんな様子を眺めながら、ビールを1リットル程飲みほして、僕も少々良い気分になってきた。
「どう。一緒にやらない?。食いもんもいっぱい有るし、酒もいっぱいあるし」
「でわ、お言葉に甘えて」ということで、初秋の海岸大宴会が始まった。
だいぶ酔いが回ってきたところで、さっきから気になっていたことを聞いてみた。
「いやぁ、最初は外国人かと思いましたよ。」
「あぁ、そうだろ。俺たちは"アイヌ"なんだ」。
なるほど、そうなのか。初めて会ったのだけど、彼等の顔はほりが深く、目がぱっちりと大きくてとても魅力的だ。



一人だけ違うかんじの人が居たが、彼は結婚して東京からこちらに来たらしい。歌志内市に住んでいて、奥さんの両親と同じ社宅に住み、お父さんと同じ炭鉱で働いているそうだ。どうりで威勢がいいと思った。


とても荒っぽくて、口が悪くて・・・、でもとても楽しくてやさしい人達でした。
夜中まで宴会は続き、やがて騒ぎくたびれて眠りについた。






1982年8月27日金曜日

サイクルショップ青い鳥、とうきび、夕張メロン

気持のいい蒲団でゆっくり休ませてもらい、疲れもすっかりとれて感謝のスタート。

走り出して少しするとスポークが折れた。直ぐ交換と思ったのだが、後輪のためフリーを外さなければならない。しかたがないので応急処置をして、走りながら自転車屋さんを探す。

ほどなく「サイクルショップ青い鳥」発見。早速立寄って工具を買う。
ONO商会でおこられたのを思いだし、これからまだまだ長い旅なので、自転車全部いじれるだけの工具を全て購入。

店の前でスポークの交換して店内に入ると、とうきびと夕張メロンを用意して待っていてくれた。どこかの業者さんと一緒にごちそうになる。夕張メロンは初めて食べる。うまい!。とうきび。甘い!。

少し話しているとお昼の時間。昼ごはんまでごちそうになり、なんと新鮮な帆立もいただいた。なんて親切なんでしょう。感謝感謝の中出発。ほんとうに有り難う。

強風の中、望来の海岸まで走りキャンプ。「望来」、良い名前ですね。さっそくもらった帆立をマーガリン焼きにして、例によってビールで乾杯。

 夕方、馬が散歩に来た。でかい。びっくり。

1982年8月26日木曜日

余市~小樽水族館~石狩

朝食の後、早速ニッカウィスキー工場へ。ところが時間が早すぎて未だ開いていなかった。残念だがあきらめて小樽水族館へ向う。



昨夜、あまり眠れなくて、今日は朝からいらいらしていたのだが、魚やイルカなどを眺めていたら、だいぶ気が晴れてきた。ここで数時間ゆっくり過して札幌へ向う。


札幌でONO商会というショップへ行く。
スポーク5本、ブレーキシュー、パンク用のラバーとパッチを購入。ついでに先日から気になっていたBBの鳴りの修理をしようと、道具を借りる。
「こういう道具は貸したり借りたりするもんじゃない」とおこられるが、貸してくれた。本当に有り難うございました。分野は違うけど、ある方面のプロになった今、あの時の言葉の意味が良くわかります。

店の前の歩道でBBを分解。グリスアップと調整を済ませ出発。

石狩川の河口付近でキャンプの予定だったが、道に迷う。たぶんこの辺じゃないかな、でもわからない。しかたがないので、道をたずねてみた。すると・・・。
「石狩川?。もう少し先だね。どこ行くの?。ふーん。もう日が暮れるよ。今日はうちに泊って行きなさい。」
僕「?」耳を疑う。失礼なことに今の言葉を聞きかえす。
「だから、うちに泊って行ったら?!」えー?。
この人はこのうちの奥さんで、夕方子供さん(小学生)が帰ってくるのを待っているところだったらしい。田舎というより郊外と言った方がしっくりくる街角で、暮れゆく空をを見ながら、子供さんが帰ってくるのを二人で待った。この夕暮れも忘れることの出来ない思い出だ。

子供さんもご主人も僕を大歓迎してくれた。北海道の特産品を沢山ごちそうになる。シャワーを浴び、ふかふかの蒲団で寝ることが出来た。ありがとうございました。また一つ思い出が出来ました。

1982年8月25日水曜日

瀬棚~余市

家族の皆さんと一緒に朝食をいただき、ご本尊様にお礼をして10時、おにぎりまでいただいて、遅い出発。

国道229号線を北上。雷電海岸で記念写真。



神威岬を周るという大学生と岩内で別れ、僕は国道5号線を余市へ向う。
僕も神威岬の方を考えたが、地図を見ると途中道が無かったり、抜け道もかなりの難所のようだったので、この重装備では無理と判断した。

この日は結局暗くなるまで走る。
余市駅宿泊断わられる。しかたが無いので小荷物取り扱い所の裏に良いところを見付け、シートをひいて寝る。疲れ過ぎたせいかなかなか寝付くことが出来なかった。

1982年8月24日火曜日

上ノ国~瀬棚 大光寺

朝、目覚めてびっくり。
昨夜は例の大学生と、少し遅くまでバス停で宴会をしてしまった。おかげで目をさましたのは7時過ぎ。外を見るとバス待ちの人が沢山居た。しかも昨夜寝る時、用心のためなどとい言って中から鍵をしていた。

皆の迷惑そうな視線を感じながら、シュラフから出ることも出来ず、バスが行った後ずるずると起床。あの時の皆さんごめんなさい。

この日は2人で瀬棚町まで走る。
駅(まだ廃線前だった)に行く。ここで寝たいと言うが断わられてしまった。
しょうがない。どこか違うところを探すが良いところが無い。町中すぎてバス停で寝るのも気がひける。
しばらくうろうろしていると「大光寺」というお寺が。うーん、2人で悩んだ末「すいませ~ん。泊るところが無くて・・・」あつかましい限りだ。

大光寺の方は快く泊めてくださいました。そればかりか、家族と一緒に夕食、朝食をご馳走になりました。皆さんと楽しく過させていただき、ふかふかの蒲団へ。大感謝です。

1982年8月23日月曜日

函館~上ノ国

函館出発。国道228号線で松前半島を周る。

函館市から離れしばらく走ると、なんとなく北海道らしくなってくる。
街を離れるともう人と会うこともない。ただ一人でペダルを漕ぎ続ける。自動車もほとんど走っていない。

と、一人の大学生ツーリストと出逢う。しばし一緒に走る。彼は釣道具を持っていた。
「おしょろこま」を釣りに行くと言う。僕は釣のことはよく知らない。「おしょろこま」というのは北海道にしかいない珍しい魚らしい。
釣ったら食べたりせずにサイズを測って放すという。ああ、それなら知っている。この前、雑誌ビーパルで読んだぞ。
「うーん、ヒット アンド リリース ですね。」と言うと、彼は腹をかかえて笑いだした。
「それじゃぁ釣れてないじゃん(爆笑)。キャッチ アンド リリースだよ。どこで覚えたの、そんな言葉。」あちゃ~。知ったかぶりはしないことですね。恥ずかしい。

この写真、どこか忘れてしまった。知ってたら教えて下さい。
大笑いの大学生をぱちり。



この日は150kmほど走り上ノ国へ。道路脇のバス停で寝ることにする。
北海道のバス停は雪のためだろう、アルミサッシでしっかり雨風を避けられるようになっている所が多い。鍵もそのまま付いている。

1982年8月21日土曜日

函館の休養

とうとう北海道へやって来た。フェリーから降りて直ぐに函館駅へ向い今夜の宿を探す。

駅の入口の壁に自転車をたてかけ、旅行センターへ。「函館市内でここから出来るだけ近い、最も安い宿」をリクエスト。
「それならねぇ」職員さんがぱらぱらと資料をめくる。
「ここが良いね。『いずみ旅館』、1泊2000円だけどいい?」。おー、安い。早速連絡をしてもらい向うことにする。すると
「飯はついてないよ。」
「適当にどこかで食べるから大丈夫です。」
「なら、ここに行ってみな。『養老の滝』。安くて旨いよ。」
「そうします。ありがとう。」

いずみ旅館は小さな素泊りの宿だった。初老の夫婦が経営していた。まずは部屋へ。う~ん、窓が無い。ま、涼しいから良いか。蒲団も大きいし清潔なので、なにより安いので気に入った。
疲れをとるために連泊することにする。

先に風呂に入り汚れをおとし、部屋でしばしごろごろして、暗くなるころ街へ。養老の滝へ向う。

いいなぁ。こんな居酒屋が一番落着きますね。
まずは生大ジョッキ(350円)を注文。一息で飲み干しおかわり。

食べるものは北海道らしいものと思ったのだが、よくわからないので、なんだか学生時代と同じようなパターンとなってしまった。
焼鳥3本(300円)、イカの刺身(250円)、しおから(150円)、ししゃも5匹(200円)、石狩なべ(500円)。
どれもとても旨い。結局生大ジョッキも3杯飲んで良い気分で店を出る。

街を少し歩くとパチンコ店が。なんだかむしょうに打ちたくなって入店。元々上手では無いので、あっと言うまに700円使い宿に帰る。

久々の人込みと雑音に身をゆだねつつ疲れをとる。この日はいつのまにか寝込んでしまっていた。

翌朝宿のご夫婦と一緒に朝食をごちそうになった。ありがたい。今夜も泊る事を伝えるととても喜んでくれた。それで頼みが有ると言う。
これから夫婦で出掛ける用事が有る。この部屋でテレビを見たりお菓子を食べたりして良いので、留守番をして欲しいと。

今日は1日寝て過すつもりだったので留守番をひきうける。お言葉に甘えてお茶をいただき、菓子をつまみながら、テレビを見る。
飼猫出現。1日中猫と遊びながら過した。お客は一人も来なかった。

夕方、ご夫婦が帰って来たので旅行に必要な物を買い出しにでる。そのまま、また養老の滝へ。満腹で帰り荷物の整理をして早めに就寝。明日からはいよいよ北海道の道だ。

結局目指すは北海道なのか

少し雨が降るがすぐに止んだので出発する。国道脇の道を相内へ。そこから国道339号線を通り今泉、そして蟹田へ。ひたすら青森市を目指す。早く北海道へ渡りたいので竜飛岬は寄らないことにした。しかし、なんでこんなに急ぐんだろう。

お昼過ぎには青森港へ到着し、30分程待ってフェリーへ。4時間程で函館に着く。本州ともしばしの別れだ。福島、宮城、山形、新潟、秋田、青森の皆さん、あたたかい声を有り難う。皆、とても親切でした。

北海道初上陸のこの日は、記念に久し振りの蒲団で寝ようと思っているが、まだ何も決っていなかった。函館に着いてまず函館駅へ。腹がへったので、宿と晩飯の心配をすることにする。

1982年8月19日木曜日

十三湖

男鹿半島を離れ、国道101号線を北上する。連日の好天で日焼けがはげしい。特に腿がひどい。真っ赤になってひりひりと痛む。

相変わらず景色を楽しみながら、ひがな1日ペダルを漕ぎ続ける。青森県に入り、木蓮寺というところの海岸でキャンプ。少し疲労がたまって来た。

津軽半島に入り、十三湖到着。雨のせいか少し淋しげな風景だ。十三湖近くの海岸でキャンプ。近くに有るちいさなお店に行き、パンと牛乳を買う。しばしおばさんと話をする。こんな旅行者は珍しいらしい。

1982年8月17日火曜日

男鹿半島

雄物川河口でキャンプ。

翌日は田沢湖か男鹿半島か迷ったが男鹿半島へ向うことにする。




男鹿半島は、海岸線をぐるっとまわるがすごいアップダウンの連続だった。強い日射しを受けながら海ぞいの狭い道を、幾つもの小さな集落をぬうように進む。

入道崎で記念撮影。



 入道崎灯台と愛車。


ギアから異音が有る。改めて見ると、このころは荷物の積みかたが良くない。いかにも重そうである。これも次第に改良されて行く。

入道崎灯台キャンプ風景。


こんな日はやっぱりビールは欠かせない。毎日1リットルは飲んでいた。水分補給とイイワケをするが、普通の水と同じくらい飲んでいたことになる。